生活の中に発達障害、自閉症がある
いきなりですが、うちの長男、ボウは発達障害の疑いがあるといわれています。
最近はこの「発達障害の疑い」といわれる子供がとても増えているみたいですね。
また「自閉症の疑い」もよく聞きます。
「広汎性発達障害」の分類の中の一つ、「自閉症スペクトラム」のことですね。
「発達障害」「自閉症」「ADHD(注意欠如多動性障害)」など、最近は耳にすることが多くなりました。
これらの「疑い」と診断される範囲、いわゆるグレーゾーンがかなり広くなってるような気がします。
「発達障害」と一言でいっても…
発達障害といっても、その人によって何が苦手なのかは千差万別です。
みんな違う人間で違う人格なんだから当然なんですけど。
例えばザックリと障害者。優しい人もいれば性格の悪い人もいます。
「障害者で力自慢」も「障害者で頭脳明晰」もいます。
同じく発達障害も「文章が書けない」「言葉が遅い」「異常なこだわりがある」「決まったものしか食べない」など色々あります。
ネガティブなものだけでなく「写真記憶ができる」「色彩感覚が独特で綺麗」「一度聴いただけの曲を完璧に弾ける」などポジティブな個性もあります。
それに加えて本人の性格もあります。生まれ持った気質もあります。
いってしまえば「定型発達」をした「健常者」が十人十色なのと、なんら変わらないのです。
なお、うちのボウはどうかというと
ちなみにボウはどんな発達障害かというと、まず言語に遅れがあります。
特にあいまいな概念の言葉が苦手で、例えば「今度」「ちょっと」「あとで」などです。
なのでわかりやすく、時計を指して「長い針が6のところになったら」など具体的にいってあげると理解します。
まあそもそも「5分後」がどれくらいの時間なのかは全くわかってませんが、それはまた別の問題なので。
ですのでやたら大きな声で遊んでて、声のボリュームを落として欲しいとき、「うるさいから声を小さくして」といっても「どのくらいの声にすればよいのか」がわかりません。
なので大きい声から小さい声の基準として、
「ライオン」「いぬ」「うさぎ」「あり」の声で、と教えています。
そして天気と季節がごっちゃになってたりします。
ボウ「今日って夏?」
原「もう秋だよ」
ボウ「えー、でも晴れてるから夏じゃない?」
とかいったりします。
そんな時私は「なるほどねぇ…そうかもしれないね」とか答えます。
普通なら「なんだよそれ!んなわけねーだろ!そもそも『今日』に対して『夏』て!」って突っ込むところですが、ボウはボケてるわけではなく、いたって真面目にいってるんです。
教えてわかる子なら教えますが、私の力量で説明してもボウは理解できないんです。
理解できない状態の子に「今は秋。夏と晴れは関係ない。」ということを教えても、それはただの否定になってしまいます。
だから教えません。教えることと否定することの境界が定型発達の子と違うんですよね。
そしてこんな子なのでなおさら、否定してしまいたくないんです。
もちろん別の機会に、否定という形にならないタイミングで教えてあげます。
なかなか覚えないですけどね…。
あとは単純に、静かにするべき場面で静かにすることができなかったりします。
特にイベントごとだと手が付けられないときもあります。
いつもの生活のルーティーンからそれほど違わない、例えば保育所でのイベントなどは大丈夫なんですが、家族で出掛けた先でイベントをやっていて、そこで「ちびっ子の飛び入り参加OK!」みたいなイベントだともうお終いです。
これからやるゲームの説明をしている間も、大声を出して走り回ったりします。
大抵の場合、たくさんの子供がいる中で、そんな子はうちのボウだけです。
本人は楽しくて楽しくて仕方がないだけみたいですが、親としてはハラハラドッキンコ。
いやそんな楽しいものじゃありません。
まさか主催側や見ている人全員に「この子は発達障害の疑いがあって~」なんて説明できませんので、迷惑かけて謝ってお終いです。
すんごい疲れます。そして「やっぱりボウは…そうなんだなぁ…」と再認識します。
しかしネガティブなことがあればポジティブなこともある。
人生楽ありゃ苦もあるさ。
ボウは踊りと歌を覚えるのがとても早いです。
親の欲目ではなく、保育所の先生からもよくいわれます。
(上手さは中くらいってトコですが…)
あと「よくそんな細かいこと覚えてるな!」ってことが多いです。
前にズボンを買いに行き、ボウに試着させました。
いまいちだったので一度戻し、別のを物色したけどいいのがなくて、さっきのズボンを探し、似てるズボンを手に取り、「あれ?これだったっけ?」と私がいったらボウが「違うよ。このボタンは金色で、さっきのは銀色だったよ」と教えてくれました。
私はボタンの色なんてまったく見てなかったのでビックリしました。
「すごいね!よく覚えてるね!」とボウを褒めちぎったら、姉のチリが「チリも少し覚えてたよ(フフーン」と無理矢理入って来ました。
チリはこういうやつなんです。まあ自分も褒めてほしかったんでしょう。かわいかわい。
なお姉のチリはまったくもって健常なので、チリと比べればボウの異常さ(良くも悪くも)がよくわかります。
この2人を見ていると、ゲームみたいにパラメータがあったとして、平均すると結局2人とも同じくらいなんだろうな、って思えます。
チリよりボウの方がよっぽど器用なときやしたたかなときがありますしね。
でも楽しいならいいか!
そんなこんなで大変なボウですが、楽しいことは全身を使って楽しみ、とても明るい子に育ってくれています。
発達障害(の疑い)のせいかわかりませんが、自分と他人の区別があまりつかないのか(この表現が適切かわかりませんが)、同年代の子には知らない子でも普通に話しかけ、即席友達になります。
よくしてくれる大人には、今日会ったばかりでも抱きついたりします。
なんにせよいつも楽しそうです。
たまにやり過ぎなこともありますが、落ち着いてるときに話せば一応理解してくれますので、少しずつですがやって良いことと悪いことのラインが整ってきています。
また、言語聴覚士による言語発達教室みたいなところに、前までは月に2回、最近は月に1回行ってます。
そのおかげか、最近は「少しおかしいけど親なら意味がわかる言いまわし」から「その時に合った言いまわし」ができることが多くなりました。
基本的には妻のデメちゃんが連れてってるんですが、前に私も一度連れて行きました。
ほとんど遊びの延長みたいな感じで、ボウもまったく負担なく楽しんでいて、親も「家でどのように言葉をかければよいか」のようなことを相談できて、とてもいいものでした。
おそらくこの言語聴覚士の人(療育トレーナー)と相性が良かったんでしょう。
冒頭でも書きました「発達障害のグレーゾーン」ですが、一発目は療育センターなどでいわれることが多いようですね。うちもそうでした。
専門家に「お子さんは、発達障害ですね」なんていわれたら、普通の親は大きなショックを受けるでしょう。
わらにもすがる思いで療育トレーニングを受けるためにいろいろ調べたり、小学校に上がるときには普通教室なのか養護教室なのか…。
このように、最初に専門家からいわれる言葉というのは、とても重いものです。
しかし実は専門家でも、その子が「発達障害」なのか「個性の強いやんちゃな子」なのか、または逆に「すっごくおとなしい子」なのかという判断は、とても難しいんです。
私はよく「ボウが幸せならそれが一番」と心の中で思います。
療育センターでいわれた言葉にショックを受け、周りが見えなくなり、話の中心であるはずの子供までもを見失う、なんてことになったらそれこそ結末は最悪なものになるでしょう。
「世間体」や「恥ずかしいと思う気持ち」なんていう割とどーでもいいことを大事にして、子供に苦しい思いをさせてまで無理に「普通」に近づけようとしなくてもいいと思うんです。
もちろんその人によって、社会に出るために必要なトレーニングはあるでしょうし、それはしっかりやるべきです。
怖いのは変に焦って、結果的に嫌いなものを増やしたり、トラウマを増やしたりなど、症状を悪化させることです。
発達障害は、いわゆる脳機能障害ですので、病気とは違って「治る」ことはありません。
であれば焦らず、その子を視野の中心に置いて、親も一緒に少しずつ成長すればいい、くらいの気持ちで過ごしていってもいいと思います。
そして、個人的な考えでは、「世間体」「恥ずかしいと思う気持ち」なんてものは本当にクソ食らえで、まぁいいふらす必要まではありませんが、うちの場合は堂々と「うちのボウは発達障害の疑いで、養護教室に籍を置くことにしました」といっています。
いわないで変に隠した方が、周りは対処のしようもありません。
逆にいってしまえば、周りもそれなりの対処ができるでしょう。
理解のない人、知らない人の心ない言葉なんて、言わせておけばいいんです。
とかいっておきながら私も「大変だね」とかいわれただけでもカチンとくることはありますけどね!
(それくらい言うのはしょうがないので「言うな」とはいいません)
光とともに…
上でもチラッと書きましたがボウは「養護教室に籍を置き、身体は基本的には普通教室」という形をとることにしました。
養護教室に籍を置くことにより、校外学習などの時、養護教諭を一人付けてもらえるそうです。
アイツ普通に道路に飛び出しますからね。そうしていただけるなら願ってもない、ありがたいことです。
少し前、ボウの小学校進学を上記の形にするか、普通教室にするかを夫婦で考えてるとき、妻のデメちゃんが市の図書館から「光とともに…~自閉症児を抱えて~」という漫画を借りてきました。
簡単に言うと、自閉症児とその家族を取り巻く物語です。
2004年にはテレビドラマになったそうですね。
ちなみにドラマの方は、篠原涼子さんの連続ドラマ初主演作らしいです。知らんけど。
漫画は普通に面白かったんですが、それ以上に「なるほど!」と思うことがたくさんありました。
例えば物事を伝えるとき、「保育所に行くよ」というだけでなく、保育所の絵や「ほいくじょ」と書いたカードを見せて伝えることにより、聴覚だけでなく視覚も使って伝える、などがありました。
これを「視覚支援」というのですが、これは役に立ちました。
なによりとても簡単にできますしね。
もう単純に「ご飯のときは遊ばない」と声で伝えながら「ごはんのときはあそばない」と書いた紙を見せるんです。
たったそれだけで、ボウの理解する早さが、声だけで伝えたときとは全然違います。
ただ親の側から見て、言うこと聞いてくれるから便利、ってだけじゃなく、ボウにとっても言われてることがよりハッキリとわかるので、ストレスも少ないようです。(連発したら怒るでしょうけど)
ちなみに「光とともに…」の作者、戸部けいこ先生ですが、2010年に病気で亡くなってます。物語の完結を迎えずして亡くなってしまったわけですが、病床に遺されたネームを元に、生前戸部けいこ先生と親交のあった漫画家の河崎芽衣先生が執筆し、2016年に「完全完結版」が刊行されています。
この完結版が発表され、初めて「光とともに…」を知った方も多くいたみたいです。
私がこの漫画を知ったのはつい最近ですが…。
否定せず、受け入れて、居場所になろう
長々と書いてきましたが、結局何がいいたいのかというと、発達障害や自閉症など、広汎性発達障害の「疑い」と診断される「発達障害グレーゾーン」の子供がとても増えています。
そんなこと我が子に言われたら親であるあなたは当然ショックを受けるでしょうし、どうしたらいいのかいろいろ調べまくるでしょう。
私自身もそうでした。
しかしあまり焦らずに、子供が楽しそうにしている姿をじっと見てみてください。
どうか我が子は、そのまま幸せに人生を送ってほしいと誰もが思います。
それならば狼狽する前にドンと構えて、その子の可能性を信じてみましょう。
幼少期に「自閉症の疑い」といわれ、現在も「発達障害の疑い」といわれ、その個性を生かし、ある分野で活躍している人の話を聞きました。
「総合的に見れば、いわゆる健常者に得意分野と苦手分野があるのと一緒。すごく苦手なことと、すごく得意なことがあるだけで、平らにしたらみんな一緒だと思います。人と違う私を否定せず、受け入れ認めて、面白がってくださる、家族をはじめ、周りの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。」と話してました。
平らにしたらみんな一緒、本当にその通りだと思います。
まずは我が家を、ボウにとっての「全てを受け入れてくれる居場所」にしたいと思います。
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